首都リマ

2011-01-12-Wed-22:20
リマは、開拓港ではありません、首都です。
ペルーは中央集権ですので、
ほとんどの機能がリマに集中しています。
人口もリマに集中。
田舎から職を求めリマへ集まり、
爆発的に町が広がっているようです。

最終日の観光はリマ市内です。
朝、クスコを出発して、
午後から見学するというややハードなスケジュール。
しかも、夜、日本へ出立、というね。
非常に充実した一日です。

クスコから持って帰ってきたペットボトル。
きちんとふたを閉めて、リマに持って帰ると面白いことになりますよ、
と聞いたので、ぎゅーっと締めました。
そしたら、
べこっ
こんなに凹んじゃった!!
気圧の違いを目で見る。
ということは、我々の体もスリムになっているはずだ!!!



残念ながら、お腹の張りも食欲も全然変わらなかった…。

ちなみに、万年筆を飛行機内に持ち込むと、
どばどばインクがあふれます。
こういう事らしい。→ささろぐ
おおお…分かり易い。

しばらく海から離れていたので、
リマではシーフードのランチでした。

突然ですが、3分クッキング♪
盛り合わせ
ちゃらっちゃらららー♪
まず、貝殻付、小さなホタテを用意します。
パルメザンチーズをたくさんかけます。
さらに、バターをのせてオーブンで焼きます。
こんがり焼き目がついたら、
「コンチータス・ア・ラ・パルメザーナ」
のできあがり!

横文字にすればかっこいい名前ですが、
要するにホタテのパルメザンチーズ焼きってヤツですね。
これは美味しかったし、家でも簡単にできそう!

左側のムール貝もレモンと塩で味付けしたタマネギやトマトを
のせたマリネ。
ムール貝だはなくホタテでも良いそうです。
これも家で作れそう。

殻は製作に使えるので取っておくと、
いつか、何かの時にもしかしたら役立つかもしれない、という感じ。

こういう料理でも、唐辛子のソースを付けたり、レモンを搾って食べます。
ペルーでの「レモン」とは緑のライムのこと。
ライムの方が割とやさしい酸味で良いですね。

メインはリゾットのようなパエリヤの様なライス。
味ご飯
ガイドブックによると「アロス・コン・マリコス」って料理名で良いのかな?
ガイドさんが食事にまつわる話をしてくれました。
パエリアもイスラム発の料理のようです。
当時、お米も贅沢品。さらに魚介類を使う事も贅沢品。
贅沢な食事だったようです。

また、王朝があるところは食事が美味しい。
偉い人は、お暇になると、
美味しい食べ物を求めるようになるから、という事です。
中国然り。フランス然り。

あ…れ……。
イギリス………*遠い目*
ローストビーフうまいよね。うん。(棒読み)


腹ごなしに旧リマ市内観光です。
同じデザイン
市庁舎と何とかって言ってた。
大聖堂が早く見たかったので、聞いてなかったらしい。

大統領府。他の呼称に、ピサロの家。
征服者の夢の跡
ピサロ邸跡に建てられたものです。
ちなみに大統領府から2ブロック先に裁判所があります。
大統領の国なので直訴となりやすい。
裁判所から大統領府までの道をデモすることがあるそうです。
で、そのまま大統領府を占拠された日には、
国を乗っ取られたのと同じ事になってしまうので、
この付近は警備が厳重です。
銃持ってたよ…物々しい。

お待ちかね、リマの大聖堂。
枢機卿在住。
ということは、相当、重要な場所なんですね。
どんなもんでしょう
で、比較写真。
うん。
似てる、似てる。
現在の建物は19世紀初めに建築されたものです。
つことは、ゲーム時間進みすぎだよ。
中を見学することは出来無かったのは残念です。

が、ちょっと、こちらを見てくださいな。→とうおう旅くらぶ
内装すげええ。ゲームすげええええ(何か違う)。


ちょっと広場から離れたところにあるサンフランシスコ教会。
うねうね
南米随一のバロック様式建築ということで、世界遺産に含まれています。
中に、カタコンベもあります。
下ることは出来ませんでしたが、降りる階段を見ることが出来ました。

で、この教会。
すごい。
良いですね
何がすごいかお気づきなります?

ポルトガル、ジェロニモス修道院。
天井きれいですね

イタリア、ミラノ大聖堂。
ピンボケ御免

ね。すごいでしょ。
柱の太さが全然違う。
ペルーも地震国ですので、時々揺れる。
あんな、石造りで細い柱なんて、たえられっこない。
こんな感じになっちゃう。
リスボン大地震(1775年)
リスボン、カルモ教会。

サンフランシスコ教会の柱は実は、竹などで櫓が組んであり、
揺れを分散させるそうなのです。
周りは煉瓦と漆喰で装飾、というわけ。

地震は怖いね。

付属の教会の屋根、壊れてます。
ありゃ
数年前に、火災発生、そのまま焼け落ちてしまったそうです。
失火も大事な遺産をあっというまに壊してしまいますね。
マチュピチュも数年前に、山火事に見舞われたと話を聞きました。
その山火事も、自然発火ではないようで…。
いくら修復しても、当時からの雨風に耐えたものはもう、
二度と戻りはしませんからね。
カティ・サークしかり。
何度も航海した甲板は二度と戻ってきません。

で、もう一つ、お気づきになったことありませんか?

やたら、建物が黄色い。

ガイドさん曰く、
「黄色はセビリアの色よ!」

超、納得。
国戦列がう○こ色だのカレー色だの言われてますしね。

ペルーの人たちも黄色がお好きなようです。
きれいな色ですしね。
でもね、外壁の塗り替えの時、黄色にはするのだけれど、
塗り替えの年によっては色がまちまちらしい。
なんか、おおざっぱで良いなぁ。
日本なら、どこのメーカーの品番まで指定するでしょうにね。

COMMENT



2011-01-16-Sun-09:11
当時は1.現代の高性能なペン芯を備えた万年筆だった。2.ペン先を上に向けて運んでいた。という条件だったためインク漏れはありませんでした。
インクの漏れを防ぐ保持能力の低い万年筆を下向きにしていたら漏れていたと思われます。

なるほど

2011-01-17-Mon-22:13
takeyo様>
初めまして。
詳しい解説ありがとうございます。
確かに、ペンを横にしたり下向きにしたり、
あんまり良い状態とは言えない感じでした。
普段使わない分、ここぞと思って持って行ったら、
どばどば~とインクが出ていたらしく、
びっくりしてしまいました。

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